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死とエクスタシー

多分その、普段私たちは、 個としての生命を保つために

 境界線を保っていて

 それは肉体だったり、 社会的な秩序だったり、 役割だったり

しかしエロティシズムは、その境界線を一時的に超える

他人や 宇宙との一体性というのを体験すること

だから、性的行為の本質が破壊ではなくて

 分離した自己を、一時的に超える体験であって

  それが擬似的な死というか

死ぬ ことと、 エクスタシーの根っこの部分は一緒で

エクスタシーは、ギリシャ語で自分の外へ出るという意味で

その肉体の外とか、魂が彷徨うとか、そういう意味の 暗示していて

死ぬということは、自我を超える つまり 自分を失う 体験 であって 

どちらも 自我の死ということを 意味していて 

だから 宗教的儀式や 性的な体験などは

つまり その生贄 だったり、 合一 だったり 昇華というものは

安全に死を体験するものみたいな、 そういうところがあると思うんですね

 タブー を破ったり、自我が設定した安全領域を超えることは

危険を伴うし それを超える時に、 恐怖心 だったり、興奮というものが湧いてくる

 だから  エロティシズムには、死の危険が伴う というか

 でもこれは、 破壊を楽しむということではなくて

タブーを破るというのは、本質的には生の制約を超える、 象徴的な体験というか 

 そんな感じだと思います

 だから意識が深まると、 それが死ぬということにつながっていくんだけど

 それを実際の死ではなくて、自我の死ということで

 分離の終わりを体験することになり、死ということ=消滅ではなくて

 完全な一体性や、サマディに変わるということだと思います 

だから エロティシズムも祈りも瞑想 も 根底では自己超越への衝動

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