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私は怖がりだと思ってたけど、慎重だったみたい

多分私は、怖がりだと思ってたんですけど、どうやったら違うみたいで

 実際 は怖がりではなくって 慎重 だというか

もともと結構、色々行動を起こす時に、怖いと言うか 、緊張するようなところがあって

 それは 例えば 、バンジージャンプみたいな、肉体的に危険なことをする時にも

恐怖だったり、体が緊張するし

あとは 精神的に、その例えば 好きな女の子に話しかけるとか

そういう時にも、怖さとか 緊張したりするし

それで結構 その、恐怖心とかが湧いても

それを無視して、行動に移せるようなところが、前からあったんですけど

 だから 自分としては、どれだけ 恐怖を感じたとしても

 例えば 生死に関わるようなことではない場合

いくら 恐怖を感じても行動できるような

 実際はすごく 恐怖を感じるから、体もこわばる し、それが筋肉に記憶として残るから

体が硬い っていうのもあるし

 それで、 ちょっと分かったんですけど

 おそらく 怖がりっていうの と、 慎重さというのは

別のメカニズムで

怖がりっていうのは、恐怖 が 判断を支配するとか

 逃げたりすることが多かったり

で、慎重というのは

リスクを丁寧に観察したり

 副作用を見極めたり

理性的な判断が優先されるということで

知性の働き みたいなんですね

私は結構 その、行動するよりも、深く考えて、動かないタイプで

 石橋を叩くような、そんな タイプだと思うんですけど

 副作用とか、そういったものを理解した上で 、構造的に納得してから動くような

 そんなところがあるかなと思って 、それは多分

 大局的に物事を考えるからなのかな、 とも思うんですね

 あとは、他人と関わると、無意識的に緊張してしまうっていうのがあって

 それは多分、私の感覚のセンサーというか

人に接する時に、いろんなことがわかるような気がするんですね

 それは相手の癖だったり、 空気感、 心理的な距離、 期待とか無言の圧力、 自分の立ち位置とか

で それらが一気に 、自分に 情報として流れ込んでくるから

それを処理するのに、 多分 緊張に似た 反応が出るというか

 パソコンで言うなら、 メモリを食われるような

 だからその、 何か危険なことがあったら、使えるメモリが限られるから、だから

 危ないから  緊張するのかな とも思うんですけど

 だから 多分それは、 ただ 私の 構造的にそうなっているだけで

能力が劣ってるとか、そういうのではなくて

情報がたくさん入ってきやすいとか、受け取りやすいから、必然的に慎重にならざるを得ない、っていうことなんだと思うんですね

 例えば、私は今まで、誰とも関わらずに孤独な状態に身を置いたり

 自我の変化を受け入れたり

 社会のレールを外れてみたり

 価値観や 世界観を、いくつも変えてきたり していて

 それはおそらく、 怖がりでは できないんだと思うんですね

で 、私が慎重になっているのは、おそらく

 自分が変わりすぎると、周囲がどうなるかとか

 意識の進化が、次の段階に入ると、戻れないことへの慎重さ だったり

深い理解がさらに進むと、世界の見え方がまた大きく変わることだったり

 私の言ってることが、理解できる人がいない領域にいくことへの

慎重さ とかもあるし

 多分これらは、 深い構造が見えてるからこその、冷静さ みたいな

 そういうのじゃないかな とも思うんですね 

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この記事を書いた人

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