多分私は、 小さい頃から本音を喋ってない気がするんですね
何を言えば周りの人が 喜ぶかとか、認めてもらえれるかとか、そういうのがわかるし
場を読むとか、空気を読むのも得意だし
それは能力であって、才能であって、いいこと っていうのもあるけど
多分 副作用があって
無意識で私は、本音を抑えるようなところができてしまったんじゃないかなと思うんですね
例えば何だろうな 、小さい頃に 自分が何か その不満があって、親に対して怒っていて
でもそれを上手に言語化できないとか
自分が未熟だから、何だろうな 間違った 解釈をしていて 、それで自分が怒ることが間違ってるのかな とか
そういうように思ったりしたことがあって
だから 自分の本音を出さない方がうまく なんだろうな
波が立たずに、事がすんでいくというか
そういう環境があったかなと思うんですね
子供の頃は、やっぱり 認めてもらえなかったりすると、孤立してしまうというか
親から見放されると生きていけなくなってしまうから
親の考え方に合わせるというのが 生きるための条件で
だから何か、自分が嫌だなとか 思っても
親や 環境が間違っているっていう風に思ってしまうと
孤立したり 見放されるような危険性というか 不安が湧いてくるから
どうしても嫌なことが起きたりした時に、自分が間違ってるんじゃないかな っていう風に
自分を責めたりしてしまうことが、 私はあったかなと思うんですね
その頃はそれで、うまいこと 回っていたのかもしれないけど
だんだん その、本音を喋らないと、 問題は発生しないし、誰かとぶつかることもないんだけど
人と深い関係になれないっていうのがあって
そうすると やっぱり、ちょっとずつ 消耗していくというか
自分が削れていくような、 そういうことになってるのかな と思うんですね
誰にもなんだろうな、 本音を喋れないというか、心を開けない みたいなところがあって
誰かと表面的には何だろうな 楽しく会話とかできるんだけど、踏み込んだ話とかできないというか
どれだけ仲良くなっても、 どこか一線を引いているから よそよそしいような
何だろうな 楽しく話せる 知り合い どまりみたいな感じ までしか、 関係性が進ま ないっていうのが 私はあるかなと思うんですね
だからこの YouTube でもそうですけど、ちょっとずつその、本音をしゃべる練習をしているというか
これを言ったら恥ずかしいなとか
バカにされるんじゃないかとか
怒られるんじゃないかとか
呆れられる
見下されるとか
そういうことが起こると
多分それが、自分の存在価値 そのものを下げてしまうような感覚があって
それは何だろうな
よくわからないんですけど、頭ではなぜそうなってるのか、なんとなく 説明はできるけど、体が勝手に 怖がるんですよね
本音をしゃべるということが
他人から認められるかどうかのテストというか
存在価値を測るテストみたいな感じになってるから
失敗ができないみたいな
だから一言しゃべるだけで、存在そのものをジャッジされる気がする
これが何をしゃべるにしても、ずっと つきまとうから、喋るだけで 疲れてしまうんですよね
本音をしゃべるということが、すごく重い と言うか、私にとってすごく勇気がいることになってしまっているかなと 思います
今これを、しゃべってる時でさえ、ちょっと怖いですし
