情報発信について、話そうと思います
私のブログだったり YouTube は、 エンタメ性を重視してなくって
パッと見、 面白くないから、誰も目に止めないようになってるんですけど
人に見られることがないっていうことが起こってて
これはあえてこういう風に作ってて
もちろん、 人に見られた方がいいっていう側面もあるんですけど
見られないことについて、人気が得られないとか、人から理解されないとか
そういうことのメリットについて話そうと思います
これって言うのは、 例えば 視聴者さんがつくとか
人気が出てフォロワーさんが増えたりすると、その人たちが求めるものを提供しないといけなくなる
だからある程度その、 一般的なレベルに合わせたことを 情報発信しないといけなくなる
自分のやりたいことと、ずれてくる場合 それがストレスになるし
私はその、人から評価されたり、 人気を得て 承認欲求を満たそうとしてるわけじゃなくて
だから特に、人から見られるかとか、そういうのはあまり関係ないんですね
人が目に止めないからこそ、私は自由に 話すことができるし
だから人気がない方が、気楽でいいなっていうのもありますね
多くの人に見られるものを出そうとすると、いろんな人が見るから それに対処して
気を使って言葉を選んだりしないといけないのが、めんどくさい というのもあるし
それは私が、 例えば より平均的な一般的な人たちを対象に、 情報発信して
例えばお金を稼ごうとかするのであれば
そういった、 気を使って言葉を選んだりする必要があるんですけど
私がその、自分のやりたいことを曲げてまで、そういう形でお金を稼ぎたくもないし
その必要もないっていう状況にいる、 ありがたさもあるんですけど
そんな感じですね
あとはその、私は特になんですけど、 自分の考えを誰かに話すとかそういうこと あんまりしたことはないんですね
人生でも、私の考えが理解されることが少なかったり
どうしてもその、一般的なレベルより、深掘って考えるから そこに 多分 思考を追いつかせるというか
私と同じレベルで考えると、疲れちゃうとかそういうのがあるから
あんまりその自分の考えてることを、他人に話したりとか、そういうことをしたことがないんですね
だから特になんですけど
こうやって情報発信する時でも、ちょっとその緊張したり、 怖さとかそういうのも 出てくるし
これは多分、私の感受性が強いからとか、そういった理由もあると思うし
ここで 怖さを味わっておく みたいなそういった側面もあります
だから人気がないのは気楽でいいけど、 ある程度 人気が出てくるのも望んでるし
まあその、誰かに見てもらった方が面白いかな とか
私の考えてることと、似たようなことを考えてる人とかいないかな とか
いたら びっくりだな とか、そういうことを思ったりとかもします
基本的にはその、私は色々やることがあるので そっちが重要なので
あえてその自分の大切なことを犠牲にしてまで、友達を作ったりとか
そういうことをする気にもならないし
いないならいないで、 別にいいけど、いたら面白そうだなって思う感じですね
だからこの情報発信をしておけば、 もしかしたら 似たような人がこれを見つけてくれるかもしれないっていう
そういう 楽しさもあるかなと思います