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誤解されたり、批判される恐怖がある

多分その、私は うっすらと自分の考えを理解してもらえないだろうな みたいな そういう気持ちがあるから

 文章に保険みたいなものを、かけてるような気がするんですね

 よく自分自身が 、意識レベルが高いからこうなってる、みたいな言い方をすると思うし

 意識レベルが低い人は、これが理解できないみたいな そういう書き方を しがち かなと思って

 それは 構造的に、そうなってるから 説明する上で問題ないというか

普通に説明すると そうなるけど

その説明の仕方は上から目線だとか

そういった 捉え方をする人が出てくるっていうのも 理解できるわけで

 それは私が気を使って、言葉を使えば 避けられるものだっていうのもわかるんですけど

 それをするのはめんどくさいし

  受け取り方 っていうの、 ある程度やっぱり、他人自身に依存するものだから

 そこは私の問題ではないし

だから誤解されることは当たり前であるということに対して、多分 理解が浅いと思うんですね

 だから文章を作ったりする時に、誤解されることに対して、恐れが出てきたりとか

そういう気持ちが湧いてくるのかな と思いました

 ある意味 まだ自我が残っているから っていう風にも言えるかな

 自分自身の価値を、他人からの評価に依存している部分が、少しはあるのかもしれない

 あとちょっと思ったのは やっぱり考える時 とか、 こうやって文章を作る時は

涼しかったり、 快適な空間の方がやりやすいなと思いました

 今 夏の終わりで、エアコン つけなくても涼しいし

 25度ぐらいかな

 私にとっては、ちょうどいいぐらいの気温で

さらに時間も 夜の11時半ぐらいで

 私は夜が静かだったり、 その 夜中 の方が 思考が深まるような そんな感じがするんですけど

 でも本当は多分、 夜10時 ぐらいとか、 それぐらいから寝た方が、いろんな その 特定の臓器が休まるし

エネルギーが充電されるので

 夜更かしして考え事をするのは、 諸刃の剣 かなと思ったりもしました

 人によって違うんだろうけどね 

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