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自分の力で得たものって何?

もともと 自分の力で得たもの っていうのは、 多分 ほとんどなくって

 それは、自分の生まれた国

教育の環境

 遺伝的な性質

出会った人々とか

 才能

 それに 努力できるのかどうか というもの すら 、遺伝的に決まっているようだし

 だから、自分の力で得たもの っていうのが

 判別しにくい世の中の構造になっているというか

 だからそれが 、自分の力で生きているんじゃなくって

何か、神的な力によって生かされているみたいな、 そういう理解になっていくんだけど

多くの人は、これが概念として、なんとなくわかったとしても

体感として 腑に落ちることはなくって

 だから、こんな話を聞いても、そうは言ってもね、 みたいな感じになると思うんですけど

 それが例えば 、スピリチュアルの話で、かなり深い話をしている人が

確かに深い真理の構造を説明している人とかいるんだけど

 それが ただ 概念的に学んで説明しているだけのような

体感を伴ってない人の言葉とかが、分かるような気がするんですね

 それは多分、私が体感を伴っているからだと思うんですけど だから

ほとんどの人は、それの違いを 見分けられないっていうのもわかるし

ある程度 なんだろうな 、話を 構造化して分かりやすく説明する方が

 みんなが 分かりやすい し 、すごいと感じやすいというのもわかるんだけど

 それをしちゃうと、 話としてのレベルが下がっちゃうというか

 だから、やっぱり私の話はうまくまとまってないから わかりづらくて

 だからこそ、価値がわかりづらいものだな ってのも思うんですけど

だんだん その 、こういった 例えば深いレベルの話を 誰かが説明しているとして

 それすら AI で再現できるようになってくるから

 本当に人間ができることは何なんだろうっていう風にも思ったりして

 おそらく 私が喋ってるように、 同じように 文法とか 文章のリズムとか作って

  AI に再現してもらうことはできると思うんですけど

  そこには 多分 生命が宿らないみたいな、多分そんな感じになると思うんですね

 まあ そう であっても、 それが 多くの人に 判別できるかどうかというと 疑問ですけど

 そのような話を思ったかな 

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この記事を書いた人

この世界の構造を探っています。
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