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信じるとは思考停止?自分の理想の押し付け?

私は何も信じてないっていう話をしようと思います

 普通何か、人は信じていて、 裏切られて傷ついたとか、そういう話をたまに聞きます

 それっていうのは、自分が自分自身に都合のいいように、思い込もうとしたけど

実際は違ったっていうだけのことだった

そういう場合もあると思います

 その場合だと、信じるというよりも、 神頼み するに近いんじゃないかな

 実際は分からないけど、 A より B の方がいいから、 A であってくれみたいな、 そんな感じがします

多くの人は、 二元的な世界で暮らしていて

 善悪、  若い 年老いてる、安いか高いか など 、どっちか一方に偏って考えるというか

 あの人は、いい人か悪い人か

選択肢が2つしかない

 それはなぜかと言うと、エネルギーの効率的な使い方のためであり

 脳の省エネのためだと思うんですね

 どっちかに決めつければ、それ以上考える必要がなくて

やっぱり 考えることは、エネルギーを使うので

普通の人は、 学生さんだったり、 社会人だったり、 やることが 膨大で

タスクを終わらすことに追われている、 そんな人が多かったりするから

 なるべく考えるという、 膨大なエネルギーを使うことを省く必要があって

 でないと仕事が終わらなくって

 だから信じるという形で、 ある程度 思考停止せざるを得ない、そんな状況なんじゃないかなと思います

 だから私は、 a かもしれないし、 b かもしれないみたいな

そういう わからないものは、わからないままにしておけるというか

 2つの視点を同時に保持できるみたいな、 そういう感じだと思うんですけど

 それはやっぱり、 エネルギーを使うので大抵の人は、 そんなことに エネルギーを 割くことができないから

だから そうなってるのかな と思います

 私は基本的に何も信じてないというか

 この世界の構造も、ほんの一部しかわからないし

 それは普通の人よりは、 詳しくわかるけど、それでも完全に全体は見えないし

だから 基本的に、何々かもしれないみたいな

 そんな感じで生きてますね

 もちろん 絶対に働いてる 法則とかはあって

高いところから落ちたら怪我をするとか

それって当たり前じゃんみたいな、 そういうことは理論的に納得できることは

そのまま使う みたいな

 何でも、1から言葉の意味とかを精査していたら、きりがないから、自分の考えも深まっていかないけど

そんな感じです 

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この記事を書いた人

この世界の構造を探っています。
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