ホーキンス博士の意識レベルについて、話そうと思います
これはきちんと、 科学で測れるものでもないし
ちょっとふわっとしたものなので、 分かりづらいんですけど
言ってみれば、どの視点で考えているか という 違い みたいな
人は立場が変わると、考え方が変わるように
自分と相手の立場
または自分が組織の中で、上の立場になったり、下の立場になったり
そういった時に出てくる 思考の違い みたいな、 そういうのが近いかなと思います
ホーキンス博士は、ある程度の意識レベルの人と、一緒に O リングテストなどで、レベルを測定できると言っていますが
やっぱりそれにも、ちょっと不確定な要素も混じってくるし
だから、私は体の状態だったり、 どういうことを考えるかとか、そういったものである程度 意識レベルを推し量っている感じですね
だいたい 意識レベルが高まると、健康になっていくし、 自我が薄まっていくから
俺が俺が とか 私が私がみたいな、 私はすごいんだ みたいな
そういうことを言わなくなってくる傾向があって
それは理解が深まってくると、個人としての私が、 特にすごいとかそういうわけではないこともわかるようになってくるし
博士曰く、 地球にいる人口の確か 80%以上とかは 、意識レベル200以下の人間だよ っていうことを確か言ってたと思うんですけど
もちろん それも情報が古いので、今現在とは 状況が少し違うと思うし
博士が言ってた時よりも、 意識レベルが高い人は増えていると思うし
だけど 大まかに、例えばネットニュースのコメント欄とかを見ていると、どういう発言をしているかとかで、だいたい みんなが共感するようなコメント
みんなが理解できるようなコメントの、いいね数などを見ていると、ある程度 集合意識 全体の意識レベルもわかるし
分かりやすいのは、 例えば YouTube の動画などで、聞くだけでお金持ちになれる動画とか
この動画を見るだけで月収200万になるとか
そんなような動画の再生数がすごい高いというところも、そういう状況を表してると思います
冷静に考えると 例えば聞くだけで、お金持ちになるとか、そんなことはまず ありえないのに
そこにすがるとか、思考停止してそういう動画を見るとか
なぜそういうことが起こるかと言うと、やっぱりこの世界に対して 理解が足りないとか
もちろん 日々の生活で疲れ切ってる人が多いと思うし、 そうしたストレスだったり、 疲労 などで
エネルギーが落ちてる と、やっぱり IQ が下がるんですね
なので頭も働かなくって、 人々は癒しを求めているとか、 気休めがそういう人たちには必要だとか、そういう 側面もあると思いますし
わざわざ その、忙しい日常の合間の休憩に頭を使いたくないとか、疲れるようなことをしたくないとか、 現実を忘れさせて欲しいとか
そういった側面もあると思います
私が思うに 意識レベルの話では、だいたい200以下だと、怒りとか悲しみとかそういったネガティブな感情に飲み込まれてしまう
人生が辛いものになりやすい という傾向があって
それが200を超えてくると、人生はいいこともあるとか
自分の手で切り開いていけるという感覚を持てるようになる し、そういう理解が腑に落ちるようになってくる
400を超えると、理性的に考えられるようになってきて
だいたい、ここにいる人たちが 人口の10%ぐらいで、社会でみんなを引っ張ったりとかして、活躍している人に、ここにいる意識レベルの人が多いと博士は言っていました
私的には、だいたい400を超える人は、確かに頭がいい人 、例えば 科学者とか 学者とか
そういう人は多いけど、必ずしも 社会で活躍する人が 、この 意識レベルになる必要があるかと言ったら そうではなくて
活躍するには、能力が必要のように感じるけど、実際は能力がなくても、周りに助けられて 社会の重要なポジションにいる人とかも多いので
必ずしも、400の意識レベルが必要かと言うと、そうではないと思います
だけど ある程度 意識レベルが高い方が、いろんなことに対する理解が深いので
自分の立場だったり、 自分のポジションに安定してい続けることができたり
効果的に働くこともできるかな と思います
で、500の意識レベルを超えてくる人は、おそらく 1%以下とか それぐらいだと思うんですけど
ここにいる人たちは、 必ずしも 社会で活躍するかと言ったら、やっぱりそうではなくて
いろんなことを理解しているけど、 ひっそりと社会で暮らしている そんな人もたくさんいるはずです
だいたい慈愛 とか、人に対する思いやり とか、そういったことを自然に持ち合わせている人たちで
いわゆる 性格の良い人たち 、ちょっと抜けてると利用されちゃったりもするかな
心が穏やかで安定している人たちが多いと思います
ここを超えてくる人は、もっともっと 少なくなるんですけど
だいたい 意識レベルが600 近くになるにつれて
自我が薄まってきて、いろんなことに執着 もしなくなるし
すごく心の中も静かになってきます
でおそらくこのレベルには、努力すれば 到達できるとか、そういうものでもないので、 いわゆる 生まれ持った素質とかが必要になってくるレベルだと思います
自分の中のいろんな思い込みだったり、 信念だったり、そういったものを見直して 削ぎ落としていくことが必要だったり
暴れる 自分の感情をどうするかとか
そういったことも 対処できるようになる必要があるし
私的には 400と500と600で結構違うというか、ここの3つで大きな隔たり みたいなのがあるなと思います
まず 400はいろんなことを理性的に考えれることになるということで
そこから500に上がるには、理性を手放す必要があって
この世界は理性的に考えれる部分を超えてるから、 そこも 許容する必要があるから
せっかく 高性能の理性を手に入れたのに、 それを手放すことができる人ってのが少ないからとか、だから500の意識レベルに行ける人は少ないっていう面もあると思います
ちょっと難しいんですけど、頑張るとかそういうのも 手放す 必要があるし
400と500は全く違う世界観 なんですね
500と600も全く違うんですけど
500 は そんなに この世界に対する理解が深くなくても、 愛情深い人とかなら500までたどり着けると思うんです
だから、いろんなことはわからないけど、それを受け入れられる度量がある人とか、そういう人は500なのかな
で600になると、多分1つの悟りの到達点みたいなところで
私もそこまでは 多分 たどり着いてないですけど
600 近くまで行くと 、だいたい 自分自身の課題とかそういうものはもうない状況で
自我がなくなるから、 それ以上はしっかり自分のことを認識できなくなる
自分がどの意識レベルにいるかっていうのを、 600以上になると、認識できなくなるっていう構造になってます
でここまで来るには、かなりいろんなことに対する理解を深める必要が おそらくあって
だから まず ここにいる人は人口的に ほぼいないみたいな
そういった構造になっています
意識レベルが上がるごとに、ゲームのステージが変わるとか
適用されるルールが変わる みたいなところがあるので
自分のステージ以外の人とは、話が通じなくなったり
共鳴 できないので 、構造的に言うと 意識レベル200以下が ボリューム 層だから
そこから外れると、 友達の数が減るって言うことに なりやすいです
でも 意識 レベルが上がるごとに、より 感受性が高まったり
認識できるものが増えるし、感じ取れる感情も変わってくる
同じ 幸せとか喜びとかでも、質が変わってくるので
今まで感じたことのない 幸せとか喜びとかを感じ取れたりするから
それが面白かったりもします
それにこの世界に対する理解が深まるから、 それが 点と点が繋がるような感じで
謎解きとか サスペンスみたいな、 そういう面白さ もあるかなと思います